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2018/04/02

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.21

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.21

現在、私は現役馬3頭、育成に入っている馬が2頭、今年1歳で秋に育成に入る馬を1頭所持しています。「馬主は金持ちの道楽」と、昔からよく言ったものですが、私は馬主で儲かっている訳ではありません。そこはみなさんに誤解していただきたくないところです。前述したような初期投資もありますし、デビュー後だって同様。馬主が儲かるのは馬が稼げる(一握り)ようになってから。そんな儲かるとは思えない馬主になぜなったのか?当然、趣味ということもありますが、競輪選手でも頑張って成績を出せば、残したら、中央競馬の馬主になれるという一つのステータスを示したかったからです。
昔は「競輪選手になる」なんてなかなか言える時代ではありませんでした。実際、私も進路相談の場では母親に反対されました。やはり、競輪はギャンブル色がまだまだ濃い時代で、胸を張って「私競輪選手です」と、言える職業ではなかったのも事実です。また、私が高校時代にお付き合いしていた女性のご両親から「競輪選手を目指すならば、ウチの娘とは別れて下さい」なんて言われた経験もあります。
そんなこともあったからこそ世間から競輪選手という職業を認めてもらいたいと、馬主になっているのかも知れません。ある意味、見栄でしかないですよね。
現役時代も車には全く興味がない私なのに、ベンツにフェラーリも購入しています。普段、練習へ行く際はワゴンR(ロングセラーの軽自動車)に乗っていて、なんならファーストカーでも充分なくらいでした。でも、これも競輪選手だって野球選手のように稼げるスポーツ選手だ、高級車に乗れるんだという姿を見せたいだけの単なる見栄でした。結局、フェラーリは3,000kmも乗らない状態で手放しているので、本当に車には興味がなかったんですよね。

今の競輪選手はオリンピック出場を目指せるポジションであったりなど、多少なりともスポーツ色が濃くなってきました。ですから、私のように不要な見栄を張る必要はないと思います。競輪選手はケガさえなければ最高な職業です。景気に左右されることなく、必ず月に2本は仕事(斡旋)がくるんですよ。下げたくない頭を下げて営業をしたり、他人の顔色を伺うことをしなくても必ず仕事があります。こんな仕事は世間ではなかなか見つからない、そのありがたさを肝に銘じて、1日でも長く選手生活を送ってもらいたいです。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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