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2017/12/27

Norikazu Iwai

後閑信一、電撃引退!!

後閑信一、電撃引退!!

後閑信一(東京65期)が電撃引退すると、27日の一部スポーツ紙がそのように報道した。
一瞬、その記事と見出しを疑ったほど衝撃的で、信じることができなかった。
確かに、いわき平F1(11月9日〜11日)のレースを最後に欠場が続いていた。後閑はこれまでにもケガが多く、それこそ選手生命が何度も脅かされていた。しかし、かつて『不死身の男・後閑』との見出しがあったくらい、そこから何度も這い上がってきたのが後閑だったのであるが。
それにしても47歳は惜しい……後閑が尊敬してやまない49歳の神山雄一郎(栃木61期)はまだまだ現役バリバリで、記念優勝100回を目指していることを考えると、後閑の引退は早いと感じてしまう。
スポーツ紙の記事によれば「G1で優勝を狙える体力も気力もなくなった」というのが後閑の引退理由。後閑の走りは気迫、まさに気迫の走りであった。その気迫の走りが見られなくなるのは残念であると同時に、決断を下した後閑の侠気を改めて感じた。
タレント揃いの65期生としてデビュー。競輪学校在校成績1位・山本真矢(京都=引退)で、2位・吉岡稔真(福岡=引退)だった2人に比べて、在校成績5位の後閑はやや地味な存在であった。だが、強さはもちろんのことだが、将来性は高く評価されていたのは事実だ。ただ、少し華やかさが足りなかった。でも、2007年10月に群馬から東京に移籍したことを機に、その足りていなかった華やかさに加えて、トップライダーとしての自覚が出てきたように思える。
後閑ほどの選手が引退となれば、ファンは最後の引退レースを観てみたかったに違いない。でも、後閑としては車券の対象にならないほどに身体はボロボロ。それでレースに出走するのはファンに対して失礼との気持ちがあったのだろう。

有名選手の引退時期、表明は難しい。
吉岡の引退レースは2006年のグランプリだった。「吉岡引退」の記事があるスポーツ紙に掲載されたのはグランプリの前検日(もしかしたら当日)だったように記憶している。ファンは驚き、吉岡を1番人気に推す。日本人が好みそうな最後の花道を飾るストーリーだ。ただ、レース終了後の吉岡のコメントがいただけなかった。
「涙で前が見えなかった」
率直な吉岡の感想だったのだろう。しかし、車券を買っているファンを侮辱したコメントだとも受け止めることができる。涙で前が見えない選手に、誰が大金、年越しの資金を賭けるのだろうか?口に出してはならない言葉だと、当時、私は憤りを覚えたものである。
現在、解説者として大人気の山口幸二(岐阜62期=引退)は対照的だった。2012年の競輪祭を最後に、引退(ごく一部の人間しか知らなかった)することを決めていたが、山口はそんな態度を全く見せず決勝へ進出。7着でレースを終えたのだが、ここで引退を発表すると優勝者に失礼だとして何も語らず。実に見事な引き際だった。
後閑の引き際も山口と同様に称賛されていいだろう。普通に考えれば、後閑クラスの選手ならば最後のレースを終え、盛大なセレモニーがあって然るべきである。ただ、それを望まなかった後閑の生き様、及び美学は勝負師として尊敬に値すると確信している。
今後についてはハッキリ決まっていないらしいが、彼のトーク技術や人気を考えれば、山口のような解説者となってもおかしくない。果たして後閑のセカンドキャリアはどうなるのか?引退しても、しばらくの間は競輪業界を賑わしてくれることを願っている。

Text/Norikazu Iwai

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